
わたしは大工になって30年以上になります。若い頃大工になって、お世話になった先輩方から色んなことを学び、様々な経験を積んできました。
今では、棟梁と呼ばれる立場にもなり、自然素材を存分に使った木が生きる家づくりを実践していますが、その昔は、生活をするために、いただいた仕事は何でも請けていた頃もありました。
寺社仏閣から、ハウスメーカーや不動産屋が手掛ける分譲住宅、店舗に至るまで、様々な現場を経験してきました。
その中には、大工として納得できない仕事も少なくありませんでした。

その頃の日本は高度経済成長期で、どこの会社も数を建てることに懸命で、丁寧に仕事をやる大工より、言われた通りに黙ってやる大工の方が使い勝手が良かったんでしょう、「あんたの意見はいいから、図面通りにやればいい」と、監督に言われたこともありました。
そんな現場では、大工なら当たり前にやるような、材料や現場を見ながら最大限に工夫をこらすことは求められませんでした。
大工として納得できるような仕事は少なくなっていき、そういった大工の技術を必要としない現場でも、仕事を請けるしかない状況にあるのが、今の日本の大工の現状です。
そんな仕事をこなしながらも、自分なりに腕を磨く努力を怠らず、自分が本当にやりたい家づくりは何だろうと考えていました。
簡単につくって簡単に壊すような家ではなく、手入れをしながら2世代、3世代と長く住まい続ける家、日本らしい住まいを丁寧にじっくりとつくりたい。
時間が経つほどに、そんな想いが強くなっていきました。

そんな時に、あの阪神・淡路大震災が起こったのです。
幸いにも、わたし自身は被災を免れましたが、復興工事のため被災地で仮設住宅設置などの仕事をさせてもらうことになりました。
現場で作業をしていると、しばらくして体調が悪くなっていくのを感じ、病院で診察を受けると、結果はシックハウス症候群にかかっているということでした。
急を要する復興作業の中、解体作業で巻き起こる粉塵や、施工しやすい新建材を多用し、化学物質の匂いが充満する現場で作業していたのが原因でした。
一度かかると100%の回復は難しいと言われるこの症状は、死ぬまで薬を止めることはできず、少し無理をすると、ひどい時には入院することもありました。
あまり語られることはありませんが、私のような症状を抱える大工は、あの当時、他にも大勢いました。
こうした震災の2次被害に苦しめられた私の経験からも、健康を害すような建材を使用してはいけないと強く思いました。
そして、これ以上自分の健康を悪化させたくなかったのと、若い頃からの夢だった「昔ながらの丸太の梁が見える家」づくりをしようと決心したのです。
そこで、家族が健康に暮らせるようにするためには、自然素材で建てた木造住宅が一番であることを知ってもらいたいという願いで、思い切って交野市に土地を買って、思う存分大工の腕をふるったモデルハウスを建てました。(現在は私部西K様邸となっています)
そのモデルハウスで見学会を開催し、日本家屋の良さを実際に体感してもらうことにしたんです。

すると、建ててる最中から、この家は他のとちょっと違うぞと、近所の方々が興味を持ち始め、完成して見学会をすると、すごく大勢の人から反響がありました。
最初は近所の人が多かったのですが、次第に大阪市内や京都からも来てくれる人が増え、遠くは三重からも来てくれるようになり、「梁が見える家を建ててほしい」といったような注文をしてくれるお施主様が出てきました。
そのモデルハウスも、今では気に入ってもらったお客様に住んでもらっていますが、その家や他に新築させていただいた家を実際に見ていただくことで、同じように自然素材で家を建てたいというご注文を頂けるようになりました。
ありがたいことに、こうして、日々自然に曲がったままの木材を眺めながら楽しく仕事をさせてもらっているのですが、この歳になり、周りの人たちからは、「棟梁の技術や知識を次の世代に伝えていかなあかんよ」とよく言われるようになりました。
自分一人食べていくのであれば、今のままでも十分なのですが、若い大工を育てたり、技術を持った他の大工仲間たちと一緒になって、大工の技が生かせる丁寧な家づくりをしていくには、まだまだ頑張っていかなあかんと感じている今日この頃です。
それには、まず、このような家づくりをしているところが、日本にはまだまだあるということを知ってもらうことが第一だと考え、このホームページをつくりました。
自然素材の家を建てたいと思っている人は少なくないことは経験で知っていますので、そういう方に、一人でも多くこのホームページを見てもらいたいと思います。


